ハゲ・薄毛を「魅せる」社長の日記

美薄毛研究家・劣等感マーケターの松本圭司が日々感じたこと、考えたことを不定期に発信中!

鰻屋の話

つい先日、家の外で年に2回も食べることは無い「鰻重」を食べに出掛けた。

そのお店は地域では割と有名なお店なので、客の足が途絶えることはなく、特に土用の丑の日に至っては予約を取らないと「鰻重」「鰻丼」にありつけないほど繁盛している店だ。ということで事前に予約してお邪魔することにした。

昨年行ったのと同じ頃にお邪魔したのだが、店に入っていきなり、どうも様子が変だと感じた。

店の中年女性が「こちらへどうぞ」と席を案内してくれたのはいいが、どうもワタワタ、あたふたしていて、落ち着かない。既に食べ終わって店を後にしたお客さんの後片付けを先にしたいらしく、お茶が出てくるのが遅かったのを申し訳なく思ったのか、「すみません」を連発し、気を遣っているかのような言葉を発しているのだが、どうも心がこもっていないと感じた。

慌てながら注文を取りに来てくれたその女性店員には「上鰻重」を注文した。多分4千円はするくらいのものだ。

すると多分5分も経たないうちに、「お待たせしました〜」とその鰻重が運ばれてきた。鰻重のクライマックスはお重のフタを開ける瞬間だ。両手でフタを開けて香ばしい匂いのする鰻の蒲焼の姿とご対面を果たすときの感動はいつも変わらない。

そう滅多に食べられるものではないものを目にするときは、早く口に運びたいという、はやる気持ちを押さえて、スマホのカメラにその姿かたちを収めてしまうのはデジタルに侵されている証拠かもしれない。

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で、ひとしきり「撮影タイム」を終えて、さてさてと食べるモードに入った。箸先で鰻に触れるだけで、食感が柔らかいことは分かる。が、口に入れた瞬間、「うん?」ってなった。アツアツ感が足りないのだ。表面は熱いが、中に熱が伝わっていない感じ。

すると、私の右隣のテーブルに座った男性の二人組にも注文してから間もないタイミングで鰻が運ばれたきた。片方の20代と思われる男性からは思わず「はや!」って言葉が出た。予想外の速さで提供されたことに対して驚いたようだ。

そこで気づいた。

鰻は作り置きされているものを、提供直前に再度炭の上に焦げない程度に載せられているのだと。

そりゃあ、中に熱は伝わってないのも無理はない。せっかく食べに来たのにとガッカリ感を感じていたところで、他のテーブルで「熱い!」って叫ぶのが聞こえたので、視線を向けた。すると、鰻が熱いのではなく、別の女性店員が女性客の背中にお茶をこぼすという粗相をやってのけていたのだった。

一事が万事、全てこんな調子なのか。

と思っていたら、左隣に別の男女二人組が座った。見るからに「チャラい」感じの客だ。別にチャラく見えること自体が問題なのではない。同じ空間で鰻を食う気がしない客層だと感じた。これはあくまでも好みの問題なのであって、この状況でも構わないと思う人もいるだろう。

こんなところにあんまり長居はしたくないなと、年1回しか外で口にすることの無い鰻を満喫することなく、店を出た。

実は店を予約する際に、この店の「食べログ」のコメントを読んでいた。そこには「オーナーが変わったらしく」、昔の味は再現できていないって話だった。やはり本当だったか、という感じ。

オーナーは食べログのコメントを読んでいないかもしれない。もし読んでいてこのレベルの商品・サービスを提供するとは考えにくい。

ユーザー視点で今回のような「変化」はどこに現れるかについて考えてみると

  • 提供される商品の質・量
  • 接客対応、挨拶、作法
  • 客層の変化

といったところだろうか。

基本的によっぽど近いお客さんであればともかく、普通は店は悪いことを知らされることはない。悪いニュースが知らされるべき人物に知らされないのは、どこにでもある話だ。だからこそ、それをキャッチできるセンサーの持ち主でなくてはならないのだろう。実は、客の方が先に、店がダメになっていっていることに気付いていることは多いのではないだろうか。

「鰻」は音読みで「マン」と読む、偏は「魚」、作りは「曼」。「慢」も「マン」と読むが、この店はどこかに「慢心」があるのではないだろうか。それに気づくのはいつになるのだろうか。それとも気づかずに滅びゆくのだろうか。

ってことで、この店にはもう行かないことに決めた。

失敗や間違いは犯すことは本当に悪いことなのだろうか

人間は基本的にネガティブなことを本能的に嫌がるし、避ける動物だと思う。

自分から進んでテストで赤点を狙う学生は滅多にいないだろうし、自分からコケて怪我をしようとする子供もいないのと同じように、余程のドMでもない限り、自分から仕事でポカを犯して上司に怒られようとするサラリーマンもいない。

赤点を取ること、コケて怪我すること、仕事でポカを犯すこと。これらのことは「失敗」や「間違い」という言葉に表される。

なぜこれらの失敗・間違いを人間は避けようとするのか、あるいは嫌われる対象になるのか?

それはその失敗・間違いを犯した“後に”漏れなく罰が設定されているからだと思う。

赤点を取ると進級が出来ない、コケて怪我すると痛い(あるいは親に怒られる)、仕事でポカすると昇進やボーナスに影響するなど、基本的に失敗・間違いを犯した当事者にとって不都合なことしか起きない。犯した当事者に「よし、失敗したか!でかした!」っていう先生、親、上司はまず居ない。

だからこそ、人は失敗・間違いを犯さないように、あるいは犯さないようにと避けることに集中するのだろう。

ほぼ全てといってもいいと思うが、新しく取り組むこと、あるいは能力が至らなかったことは失敗するか、間違えるのではないだろうか。

しかし、私個人としては失敗・間違いは自体は全くもって悪くない、と思う。

理由としては、失敗・間違いは何かに挑戦をしたという証明ができる。失敗や間違いは答えが分かっていないから、犯すものであるので、答えが分かっていないものにチャレンジしない限り、そもそも犯せないので、それだけで価値がある。

しかし、失敗・間違いを犯したからといって偉い訳でもない。問題はそこから先からの思考・行動にあるといっていい。

感覚として、としか言えないが、新しいことを失敗が無いまま成果を出すことはかなり恵まれているか、ツキがある場合に限る。誰でも想像すれば分かることだが、オリンピックに出場するような体操選手が何の練習もせずに一発で高度な技を繰り出すことは出来ない。その高度な技を本番で披露するには相当な練習を何カ月も前から、何年も前からしているに決まっている。きっと練習の1回目にその高度な技に挑戦したときは失敗しているはずだ。それを100回、1,000回と繰り返す中で体に技が染みついていくのだろう。

このように、失敗・間違いを犯すことは悪くないのだが、最悪なのは、失敗したところで「辞める」ところにあるのだろう。辞めるとは、考えることをやめる、行動することを辞めるということだ。つまり、失敗・間違いから何を学び・感じ取るかにかかっているのだろう。こうすれば上手く行くんじゃないか、今度はこうしてみようって思い、次回のトライアルに活かせるかが大事なのだろう。

多分こんな失敗(間違い)のパターンがあると思う:

  1. 1回目の挑戦で失敗、以上終了。
  2. 失敗→(1回目と同じ方法で)失敗→ギブアップ&撤退
  3. 失敗→(1回目とやり方を変えて)失敗→(2回目とやり方を変えて)失敗

実は、これと併せて問われているのは「失敗・間違いの仕方」なのではないかと思っている。

言い換えると失敗した際の受け身の取り方。柔道で投げられた際に打ち所が悪ければ最悪、命を失うかも知らない、しかし受け身の取り方の基本が出来ていれば命に別状はないし、試合を継続することも可能だろう。

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Wikipediaより

 

拙著「おもしろいを仕事にする」では自分の失敗話をあたかも自慢げに書いた。

www.amazon.co.jp

 

また、 「デッドボールでも塁に出る」ことについて触れた。つまり、野球でスリーアウトでゲームセットにならないようにするには、わざとボールに体を当てにいくことでゲームを続ける(挑戦を続ける)上では大事なのではないかという意味で書いた。

「失敗をして辞める」ということにならないようにするには、如何に続けられる状況を作るかということも必要だと思う。一回の失敗で立ち直れないほどのダメージを受けたら再起をはかることが出来ないのだ。

失敗・間違いを犯すことにビビることはない、と思う。むしろその後に何も学べない、動けない自分がいるのではないか、また上手くいくまで続けられない状況になるかもしれないということを心配すべきではないか、と思う。 

エアフォースワンより、本当はトランプの頭部を撮りたいんや!

クソ忙しいのに来てしまった🤣

閉幕したG20狂騒曲のフィナーレ。

普段は平和な猪名川の河川敷がエアフォースワンの離陸を待つ人達でごった返しまくり💦

近くのイオンモールの駐車場も人が沢山です。

警官の皆さん、お疲れさまです。

で、エアフォースワン、まさかの南方向に離陸するという意表をつく挙動をされて、カメラオヤジ達はガックし笑笑

大事なのは、こういうのをテレビ観ながら「あ、トランプさん日本発つんや」って思って何も動かないか、それとも「よし、それなら折角やし、エアフォースワン見に行こか」と腰上げる身軽さがあるか。後者を選択出来たので、まだまだフットワークはあるな、良しとしよう笑

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個人と組織が面白くなくなるメカニズムについて考えてみました⑦(多分最終回)

前回このテーマで⑥を書いたのが令和時代に入り、少し落ち着いた頃の5月12日。

で、今日は6月26日。あっという間に6週間も過ぎてしまった… それにしても時間が過ぎるのは早い、早すぎる!

もう6週間も経ったのでそもそもこのテーマでは何を書いてきたのかを思い出すと:

  • 日本で一般的な教育を受けたヒトは12~15歳頃、「好き嫌い」「向き不向き」ではなく、「損得」「出来る出来ない」が判断の中心軸になっていくのではないか?そして、これが実は人生を面白くないものにしかねない最初の分水嶺になっている疑いがある(その①で書いたこと)
  • おカネを基準としたループに入るとそこから抜け出すのは相当難しい。結果、「損得」、あるいは能力的に「出来る出来ない」を基準としたものとなる(その④で書いたこと)
  • 個人が根の部分で感じている欲求やホンネと、組織の論理を比較すると、色んなものが全く噛み合わない(その⑤で書いたこと)
  • 日本は仕事で幸福を感じられない国、世界ナンバーワン
  • 個人がまずやるべきことは「働き方改革」ではなく、「働き甲斐改革」なんじゃないか?(以上、その⑥で書いたこと)

ということを書いてきたことを思い出した。で、『次回はいよいよ、テーマ名の「個人と組織が面白くなくなるメカニズム」について書いてみよう、書けそうだったら(笑)』ってところで締めくくっていた。

この世の中で官僚になる人や大企業に入る人達は、出された問題を解くのが得意な人達だ。しかも東大、京大なんかに入れる人達は単に問題が解くのが得意なのではなく、一発正答率がめちゃくちゃ高い。つまり、TVドラマ「ドクターX」の中で、米倉涼子演ずる、天才外科医・大門未知子の決め台詞「私、失敗しないので。」ばりに、間違えない。これを逆さに見てみると、「間違いは犯さない」「間違いを避ける」「間違いを悪いものだと思っている」ことにほかならない。

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基本的にこの世の中の人事とやらの殆どは、間違えた者を引き上げるような仕組みになっている組織は少ない、というよりほぼ無いのではないだろうか。そんな間違いを犯さない、犯してこなかった者達が組織のトップ、組織の中枢部に就くとどうなるか?

「面白そう、よしやろう!」

なんて言う訳がないのだ。彼らは間違えないことを優先して評価されたからそのポジションに就いているのであって、面白いことをしてきたから、失敗してきたから、そのポジションに就いている訳ではないのだ。

新しいこと、他人から見て面白そうなことは一発で成功することはほぼ無い。ほぼ一発目のトライは失敗する。二発目のトライも失敗することはザラだ。そのような人達は口では「チャレンジ精神が大事だよ」というものの、本音ではそんな博打みたいなことにやらせたくない、はずだ。やらせたとしても、傷口が浅いうちにやめさせるに違いない。なんせリスクが嫌いなのだ。間違えたくないのだ。

そんなトップや経営陣がいる組織には、面白いもの、新しいことを試みる人達はやがて声を上げなくなるか、いつか居なくなる。給与・報酬だけで引き留める限界がいつか来る。経済的な損得だけでは魅力的な、本当に必要な人材を引き留めることは出来ない。そこに残っているのは、個人的な損得しか考えていない保守的な発想の持ち主か、その組織に僅かばかりの希望を持っている、が、自分ではよう動かん人達だけかもしれない。

この「個人の持つ欲求とホンネ」と、「組織の論理」を如何に折り合いをつけることは組織人として生きる人達の永遠のテーマであり、きっと完璧な折り合いをつけている人は居ないんじゃないかとさえ思う。

今日のニュース(日本人初NBA選手)

今日は八村塁選手がNBAのドラフト会議で1巡目で指名されたニュースで盛り上がっているが、今から38年前にNBAから指名された岡山恭崇さんのニュースが載っていた。

この岡山さん、八村選手の203センチを超える230センチの大男で、実はこの私も2度お見かけしたことがある。

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1度目は、東京の私鉄の中で座っておられた時。何と岡山さんは座席に座っていたのにも関わらず、膝が電車の中央部を超えていたのですぐに彼だと分かった笑

2度目は、その当時私が通っていたスポーツクラブの会員で私がロッカールームに入ろうとしたら、頭上に大きな影を感じ、上を見上げたら、大木のような岡山さんがいて失礼ながら思わず声を上げてしまった。履こうとしていた靴が中華鍋みたいにデカく、未だにその時の衝撃は忘れられない…

岡山さんがNBAに日本人初として行っていたらどうなっていたんだろうー

幻の日本人NBA選手、岡山恭崇氏が八村の快挙称賛 - NBA : 日刊スポーツ

「普通」と交わると「普通」になる

誰とは言えないが、先日、とある起業家の人とメシ食う機会に恵まれた。実は数年前に初めてお会いしたことがあった人だったが、ひょんなことからサシでメシを食うことになったのだ。

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その人は義理でメシを食わざるを得なかったことを除いて今年に入り、一度も他人とメシを食ったことが無いという。

その理由に驚いたというのと、なるほどと唸った。

彼曰く、「殆どが『普通』の人なのに、そんな人達とメシを食うと『普通』に染まってしまうのがイヤだから』だと。

学生時代にスゴく尖ってたヤツに数年ぶり、数十年ぶりに再会したら、「普通」のヤツになっていたという話を聞くことがあるが、あれも周りの「普通」に染まったということなのだろう。

で、「なぜ、この私とメシを食ってくれたのか?」と聞くと、「ハゲネタやってて『普通』な訳ないからですよ」と(笑)。

ちなみにこの彼は私と同年代だが、とある業界で彼が経営している会社が提供するサービスのクオリティは絶賛されている。

数年前にもスゴい自信を持って経営をしているなと思ったが、今回再会したらもっと自信を持ってやっていた。そして、こんなことを言っていた。

ビジネスは無差別級ですからね

確かにそうだ。今日参入した起業家も100年前からある超巨大企業も同じ土俵で闘っている。どんな技を仕掛け合うか。下馬評通り、大が小を潰すのか、それとも番狂わせで小の前にも大が土がつくのか。

儲け所が外から見て分かるビジネスはすぐにパクられる

これは「ストーリーとしての競争戦略」の中で一橋大学大学院・楠木建教授が言ってたことと同じことだ。「実は〜」という思いがけないところから儲けが出ていたという筋道を作れるかどうかって話だが、これを実践している経営者は実に少ないが、この人はそれをガチでやっている。

本質、本質というヤツほど終わってると思う

「本質ってことは人類が今まで経験してきたことを単に集約して言っていることに他ならない。それを周りの人達がふむふむと納得して聞いてくれている様子を見ていい気分になってるヤツに成長はない」と。

カルヴォや、自分を見つめ直す良い機会を与えてくれたこの人に感謝!

 

最近の気になるニュース

先週の10日(月)にTOKYO MX5時に夢中!」の「追跡ベスト8」で放映されてから結構バタバタが続いていた中、気になったニュースについてコメントしたくなったので、慌ただしい状況は相変わらずなものの、備忘録として書いておこう。

先週か、先々週辺りだったか、金融庁が作成した報告書に記載されている「老後に2,000万円の貯蓄無いとアカン」という記載に対して国会で与野党の攻防が続いている。

そんな頃に、こんな記事をYahoo!ニュースで目にした。

ニュースを抜粋してみよう:

東芝が100%出資する主要子会社にこの春、新しい部署ができた。そこには希望退職に応じなかった社員らが集められ、社内外の多忙な工場や物流倉庫で単純作業を命じられている。東芝は「適切な再配置先が決まるまでの一時的措置」だと説明するが、社員からは「退職を促す追い出し部屋だ」との反発が出ている。

<中略>

若い働き手にまじって作業をしている男性は「不慣れな肉体労働で疲労がたまる。こんな作業を続けていても先が見えない」とこぼす。別の男性は、原発事業の失敗による経営危機を振り返り、「同僚が次々と他社に移るなかでも、自分は残ってがんばってきた。なぜこんな仕打ちをうけるのか」と憤る。

headlines.yahoo.co.jp

この年金で足りない、だから2,000万円は貯蓄が必要だという話も、東芝系の話も、言ってみれば「国単位」の話か、「企業単位」の話かだけの違いであって、文脈としてはそう変わらないだろう。

どちらもヤバいことは分かっていた。前者については、日本の少子高齢化のスピードは半端なく、現役世代が高齢者を支えることは難しくなることは何年も前から、もっと言えば10年、20年単位で分かっていたことだ。後者についても、東芝粉飾決算債務超過が云々でボロボロになっていたことを考えれば、その状況になっても「泥船」から逃げることをせずにしがみついていただけに過ぎない。沈む「泥船」にしがみついて、頑張ってきたとは開いた口が塞がらない。それも先週、先月の話ではない、自分の居場所を変える時間的猶予はあったはずなのだ。

日本の公的年金制度は本質的には崩壊しており、日本企業の終身雇用制度も崩壊している。これを信じるか信じないかはあなた次第ってことで、結局誰も誰の人生の責任を負うことはできない。人生設計は自己責任でやるしかない。

自然科学者のチャールズ・ダーウィンが「進化論」の中で説いて有名にした「適者生存」という言葉を忘れていけないなと改めて思う。

最後に生き残るのは、最も強く賢いものではなく、最も上手く変化に適応したものである。(チャールズ・ダーウィン) 

“It is not the strongest or the most intelligent who will survive but those who can best manage change.”  (Charles Darwin)

スポーツでも何でもそうだが、その時に一番能力がある人間、組織にフィットする人間がレギュラーメンバーに選ばれるのである。

何度も言うが、東芝系社員の最後の言葉は生き残れない人間の言葉だと思う。お金を貰っている以上、常に競争環境に置かれているという自覚が無かった上に、対策を取らなかった「無戦略オヤジ」の末路としか言いようがない。

では、レギュラーメンバーに残れない場合はどうすれば良いか?

市場と自分が得意技に対するニーズを鑑みながら、将来を予測し、あらゆる場面を想定して準備しておくほかはない。

日本を代表する企業、トヨタの豊田社長も「終身雇用は守り切れない」言っているのだ。大企業にいる人間も、いい加減、終身雇用制度は崩壊したことをジブンゴトにした方がいい。

そうしたら如何に自分がスカスカで何の市場価値も無いことに気づくはずだ。

www.businessinsider.jp