ハゲ・薄毛を「魅せる」社長の日記

美薄毛研究家・劣等感マーケターの松本圭司が日々感じたこと、考えたことを不定期に発信中!

生き方の「分岐点」について考えてみた

先日、滅多に会えない人に出会えた。

その方は、中米コスタリカ在住で探検昆虫学者の西田 賢司 (Kenji Nishida)さん。

www.kids-event.jp

大阪出身で中学を卒業したと同時に単身渡米し、現地で高校、大学を卒業した後にコスタリカで「探検昆虫学者」になり、20年余り。聞くところによるとコスタリカで見つかる昆虫の殆どにまだ名前もついておらず、命名するには生態を把握しなければいけないらしく、1~2年かけてご自分で飼育し、観察する必要があるとのこと。もう今の時点で一生やりたいことはやり切れないことは分かっていると仰っていた。

年は私より1つ先輩だが、こんな生き方もあるのかと驚いたのと同時に、羨ましいと思った。西田さんと比べれば、自分はまだまだ普通っていうか、普通過ぎる。

常識から外れることには勇気が伴うものだが、それをやってのけてきた西田さんの選択や行動に僭越ながら心から拍手を送りたいと思った。

ところで西田さんとお会いしたのは、実は誰かの紹介とか、ばったりどこかでお会いしたとかではなく、大阪のラジオ局、朝日放送ABCラジオで今年6月末まで放送されていた「秘密結社大阪ぴかぴか団」という番組のイベントでお会いした。

この番組は、関西にゆかりがあり、個性的なことをしている人、あるいは個性的な人をゲストに迎えてパーソナリティとトークを繰り広げるというものであったのだが、とにかくヤバい人が沢山登場していた。

例えば、ひたすら紙でロボットを作って自分で対戦させているというオッサンや、ラジオ塔にこだわって写真撮影を続けている人や、人間の目玉や指をモチーフに菓子作りをされている女性など、とにかく「普通」から外れている人ばかりだ。そんな人達が会する珍しいイベントなので私はなるべく多くの人達に、

  • なぜそれをやろうと思ったのか?
  • どういう経緯でそれをやろうと思ったのか?

ということを西田さんのみならず、お会いした殆どの方々に無意識的に聞いていた。そうしているうちに、この人達はどのタイミングで生き方が変わっていったのか、それとも初めからそうだったのかについて考えてみたくなった

恐らくこのブログの読者の殆どは日本で教育を受けた方が多いのではないだろうか?

下記に図にしてみた。

多分、保育園や幼稚園では同い年で運動能力や理解力に差があったとしても、先生達はそれを取り立てて問題視することもなく、ましてやそれを子供本人に告げることもないだろう。そのため、多くの子供達はお互いにそんなに差があることを認識しておらず、あくまでもone of them的な気持ちで普段を過ごしていることが多いのではないだろうか。

しかしそれが、小学校に上がり、中学・高校と年齢を重ねるにつれ、勉強、あるいはスポーツが得意、あるいはその両方が得意という子供が一定の確率で現れる。当然、通っている学校でトップ集団にいれば、勉強の場合であれば進学校に進み、その中で選抜が行われていく。スポーツについてもわざわざ越境して野球留学するような子供達もその種目においての競争をすることになる。その競争に勝ち残れば、例えば勉強が出来れば医者・弁護士に、スポーツが出来れば、プロ野球選手・Jリーガーなどになる道が見えてくる。

しかしながら、選抜を繰り返される中で、常にトップ集団に居続けることはかなりハードだ、それは何も医者や弁護士といった高度専門職と言われる人達の集団に限らず、組織の中でもそうだろう。また、食えるほどのレベルに達するスポーツ選手で居続けることは確率としてはかなり低いだろう。

勉強であれ、特定のスポーツの種目であれ、時間の経過と共に、またステージが上がると共に、優れた結果を出し続ける者がいる一方、殆どの人はトップ集団に居続けることはない。当たり前だが、スポーツ選手ならともかく、普通の組織人が組織に加わった瞬間からトップにいることは初めから社長として採用されなければあり得ない。つまり、殆どの者がピラミッドの中段以下にいるといっていい。 

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優れた結果を更に上のステージで出し続けるケース

対して、今回のイベントでお会いした、変わったというか、普通じゃない人達はお話を伺っている感じだと、人生のどこかのタイミングで規定路線や所属している組織・業界から「スピンアウト(個人あるいは複数の仲間がある組織からとび出し、独立の小規模組織をつくること)」しているケースが殆どだった。

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元々組織・業界にいた人がスピンアウトし、独自の分野を切り拓くケース

各人の違いは、「どのタイミングでスピンアウトしたか」ということと、「スピンアウトして何をしたか」の2点に集約されると思った。もちろんスピンアウトする時点で大まかな見立てがあったケースもあれば、そうでなかったケースも見受けられた。

スピンアウトするタイミングの殆どは一度は大小に関わらず、組織で勤務している最中が殆どだ。しかし組織といっても、企業の場合もあれば、店舗形態での勤務もあるなど様々だ。そういう意味では若くして親や家族の意思ではなく、「自分の意思」で若干15歳でスピンアウトした西田さんはその後「探検昆虫学者」になるならないに関わらず、かなりの異色であることには間違いない。

「スピンアウトして何をしたか」については、十人十色であったが、決してスピンアウト前にしていたことと直接関連のあることをしているとは限らない

例えば、前述の人間の目玉や指をモチーフに菓子作りをされている女性は元々は菓子作りとは全く関係の無い仕事をされていたが、出産を機に退職をされ、育児に専念していた中で、お子さんを喜ばそうとお菓子を作ったものの、作るものが何故か「怖い」ものばかりになってしまうので、一層思い切って見た目の怖いお菓子を作ってみたらどうだろうと思うようになったとのことだった。

これらの方々の思考・行動を見ているとこんなパターンがありそうだ(全部を網羅しているとは思わないが):

  1. 海外に出てその分野でのパイオニアを目指す⇒誰も手をつけなかった領域に打って出る
  2. 裏方に回る⇒裏方だからこそ見える景色があり、それを強みに出来ることもある
  3. 自分の弱みを強みとして活用する
  4. これまでのキャリアで培った人脈を活用する⇒但し、組織に所属していたことに意味がある場合は、活用出来ない可能性もある
  5. 脱サラして趣味の世界を極め、第一人者を目指す

今回、西田さんとお会いして思ったが、割と早くに競争のピラミッドから離脱するのも悪くないということだ。もちろん、ピラミッドにしがみつくのもありだが、既存のピラミッドに身を置く以上、ピラミッド上部を志向しない限り、いつまでも上には上がいるという状況があるため、面白味を感じることは少ないのではないかと感じる。

断言しても良いと思うが、「大阪ぴかぴか団」のメンバーは、そこに10人いるとすれば間違いなく、異端な1人である人達だ。大抵の人は10人中9人側に属していることが殆どだ。個人的な考えでしかないが、異端な1人になるか、残った9人の中でトップを目指すか、トップにいるケースでしか、生き方としての「面白さ」は感じられないのではないだろうか。ということで、

  • まずは10人の中で違う1人になる。
  • 次に100人の中で違う1人になる。
  • 次に1,000人の中で違う1人になる。

ことを意識して行動することだ。不思議なことに、異端な1人になると、異端な1人ばかりが集まりやすい。変わり者は集まるのだ。類は友を呼ぶ(類友=るいとも)とは、昔の人は上手く言ったもんだなと思う。

ということで、自分にしたいことがある、あるいはそのピラミッドにいても芽が出ないと感じたら、とっととそこから出ることだ。

ここまで言って何だが、もちろん全員が全員、スピンアウトに適しているわけではない。また、大所帯の中のピースでいないと出来ない、関われないこともあるのも確かだ。こんな場合はスピンアウトをするよりもピラミッドにいる方が良いかもしれない。

  • 特に何かをしたいと思っていない場合
  • そのピラミッドに属していないと関われない仕事(資本が必要なビジネスに関わりたいとか)をしている
  • ピラミッドの中にいる方が安心と感じる
  • これまでかけた時間・コストが惜しい(サンクコストの呪縛)

「人生いつでもやり直せる」とは言うものの、時間の経過に伴い、やはりしがらみや、色んな事情が生まれてくるものだ。

人生における意思決定は色んなものが固まる前にする方が容易であるのは間違いない。セメントのようなものともいえる。セメントが固まるとは、結婚をして所帯を持つ、子供を持つ、体力・知力に自信が無くなっていく、組織内で相応のポジションに立つ、経済的報酬が優先し、その枠組みから抜けることが出来ない状況などが含まれる。そして、そのセメントが固まってしまうと後になって形を変えるのには相当な馬力が必要になることは既に固まってしまった人達にとってはよく分かる。だが、それは振り返らないと理解できないのが厄介なところだ。

一つだけ間違いないことがある。

それは「人生」というテープレコーダーには「再生ボタン」しかないということだ。しかも押されっぱなしのボタンだ。また、巻き戻しボタンも、一時停止ボタンも、早送りボタンも無い。しかもそのレコーダーにセットされたテープがいつ終わるのかが自分自身も他人も分からない。

ということで、あんまりオチらしいオチも無いのだが、今回は生き方の「分岐点」はどこにあるのか、どういう発想で生き方を選べるのだろうかという、答えの無いことについて思考を巡らせてみた。

梅雨が明けて最初の週末がやってくるー、暑さにやられないようにしましょう💦