ハゲ・薄毛を「魅せる」社長の日記

美薄毛研究家・劣等感マーケターの松本圭司が日々感じたこと、考えたことを不定期に発信中!

個人と組織が面白くなくなるメカニズムについて考えてみました⑤

前回④では、「本来の個人の欲求・ホンネ」、「個人の実際の行動・思考」、「組織の論理」の3つを幾つかの切り口で説明しようとするところで終わりました。

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作成元:株式会社カルヴォ 松本圭司

これを読まれている方でどこかの営利目的で存在している組織で働いているということであればイメージしやすいと思うので、一番右列の「組織の論理」ってところから説明してみたいと思います。

まず組織において、とある事業を「選択」するという判断基準は、そもそも営利目的であれば、収益というものが大前提になるはずです。もちろん、収益性を犠牲にしても組織としてやるべき事業ということで手掛けることもあるでしょうが、基本的には株主や投資家といった方々のおカネを使って事業をやる以上、収益性・費用対効果といった効率性が問われている中で選択が行われていると考えていい。

そしてその事業を継続する、しないといった撤退基準といわれるものは、組織によって存在し実際機能する場合もあれば、有名無実化し、いつまで経っても撤退するそぶりも見せずにダラダラ継続することもあるでしょう。

そして、組織における成果を測定する単位はおカネであることについて異論を唱える人は少ないのではないでしょうか?日本円か米ドルかユーロなのか、はたまたどこかの通貨かは分かりませんが、数字で表せるものでしょう。

最後に成果を出すのに求められる期間は、長くても数年程度、場合によっては数か月で株主・投資家からは求められることもあるかもしれません。

次に一番左列の「本来の個人の欲求・ホンネ」です。

“本来”のなので、何かをするにあたっての判断基準は「好き嫌い」、辞め時は「向き不向き」で決め、測定単位はそれぞれが「生きがい」を持てるかどうかとしています。自分は生きがいなんて不要、カネさえあれば良いという方もいるかもしれません。そして成果を出すのに求められる期間ですが、人生100年時代といわれる昨今ですから、「人生を通じて」ということであれば、組織に求められる時間軸と比較すれば、だいぶ長い時間軸になるのではないかと考えています。

で、最後に「実際の個人の行動・思考」になります(真ん中の列)。選択する上での判断基準が「損得」あるいは、もしくは能力的に「出来るか、出来ないか」になっているのは、早い人では10代前半であることについてはこのテーマでの投稿の①でも触れた通りです。

そして、やめる基準は「良し悪し」もしくは「世間体」としました。大人になると自分のホンネや自分基準ではなく、世間基準の「良し悪し」や、そんなことをしたら世間様からどう思われるかという「世間体」を気にし始めます。

そして測定単位は定量的な「カネ」です。個人のホンネとしては、「生きがい」を優先したいが、実際問題カネが無いと生活が出来ないでしょうし、カネは定量的に表せるので、他者と比較する上でも非常に分かりやすい。だから、反射的に報酬(=カネ)の高低で判断してしまうというのが正直なところなのではないでしょうか。

成果を出すのに求められる期間ですが、これは自分で決めるというより、組織の論理に合わせるというのが現実だと思います。

このチャートにもあるように、個人が根の部分で感じている欲求やホンネ(一番左側の列)と、組織の論理(一番右側の列)を比較してみると、基準や期間というものが全く噛み合わない。不整合を起こす場合が殆どといっても良い。しかし、実際の個人としての行動や思考(真ん中の列)はどうかというと、かなり組織の論理とカブっている部分も多いのが分かります。なぜこのようなことが起きるのかというと、これは私の仮説ですが、組織人として生きていく中で個人の欲求・ホンネが抑制・抑止されていくようになるのではないかと考えます。そして、10代のうちから「損得」・「出来る出来ない」「良し悪し」といった価値基準が「好き嫌い」「向き不向き」よりも優先するようになるのは、将来なるであろう組織人として飼い慣らすためとしては(言い方は語弊があるかもしれませんが)、実に都合の良い仕組みなのかもしれません。

組織が個人の集合体であることを考えると、かなり各個人がホンネを押し殺して組織という体面を保っているといいのかもしれません。