何故わざわざ会社を辞めてまで起業したのか?

何故わざわざ会社を辞めてまで起業したのか?

何で私がわざわざ会社を辞めてまで起業家になろうとしたかについては、最近取材して下さることが多くなったメディアの方々からも良く質問されることの一つです。

多分、何も事情を知らない人からしたら「のっぴきならない事情があったんとちゃうか?」とか、単純に「アホちゃうか?」といったコメントも聞こえてきそうですが、理由は至ってシンプルでして、

 

「他人が思いついたこともない、あるいは過去に誰かが思いついたことであったとしても、試行錯誤することで、自分発のブランドを創ってみたかった」

 

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これに尽きます。これ以上も、これ以下もありません。

自分発のブランドを創ってみたかった

会社員生活を20数年していた中で一番違和感を感じ続けたことは、face-to-faceはもちろんのこと、電話でも「〇〇会社の松本です」と、自己紹介する時でした。子供じみてるかもしれませんが、ぶっちゃけ「オレはどこの所属でもない、オレはオレなんだ」と心のどこかでは事あるごとにそう思っていました。

ですから、いつかは「〇〇会社の松本」ではない、「自分発」でブランドを創ってみたかったんですね。しかも誰もやっておらず(仮に既にやっていたとして現時点では成功と呼べる事例が生まれていない)、かつスケールする(事業規模が拡大する)可能性を感じられる領域で創ってみたかったということです。それが私が一番「自分ごと」として問題意識を持っていた「ハゲ薄毛」というイシューであったということですね(笑)

自分を騙すことにも限界が…

そういう「やりたいことがある」のにも関わらず、勤務している企業で、自分ごとに落とし込めようにも、落とし込めない製品・サービスのことを考え続けるのは非常に苦痛です。毎月25日に黙っていても銀行口座に給料が入ってきても、有難かったのは間違いなかったですが、特段嬉しくはなかったです。

別にやりたいことがあるのに自分を騙し騙ししながら、大企業で働き続けることも出来なくは無かったでしょうが、それで残り数十年過ごすのが果たして自分に正直に生きているとは言えないなと思いました。

スティーブ・ジョブズの言葉で気付いた

2011年に、今、まさにこのブログをご覧になっている方々の多くが使われているであろうiPhoneAndroid携帯の方もいらっしゃると思いますが)の生みの親であるSteve Jobsが亡くなった時に、在りし日のJobs氏があの有名な2005年の米・Stanford大学の卒業式でスピーチをしている模様をテレビでもYouTubeでも頻繁に目にしましたが、

youtu.be

私はスピーチのこの下りに衝撃を受けました:

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

 - Steve Jobsスティーブ・ジョブズ) -

もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?

私はこの言葉は人生の本質を突いている、突き過ぎる程までの問いだと思いました。

残念ながら、このスピーチを聞いた時に、この至極シンプルな問いに対して私は0.1秒で"NO!"と言えてしまうなと思い、随分と落胆しました。

と同時に、私は何故、多くの人達が好きでもない(少なくとも外からはそう見える)モノ・コトに関わり続けて仕事を続けているのかについて、ずっと分からなかったのですが、ようやく解答に辿り着いたのを覚えています。

残念ながら多くの人達はさしてやりたいことも無い、まさに人生最後の日だとしたら絶対やらないであろうことをしに行くために、毎日通勤電車に揺られている(電車通勤に限らないですが笑)のだと思います。

こんなことがありました。

私が会社員を辞めてから間もない頃に会社員をされているある人とご飯を食べることになりました。その人は私が起業に至った経緯を聞いて「私、目が覚めました、明日から変わります!」と言ってその日は別れました。

数ヶ月後にまたその人と会う機会がありました。その人は「私、目が覚めました、明日から頑張ります!」と言いました。

私はこの人はずっと変わらないんだろうなと思いました。

殆どの人は別に取り立てて、現状を変えてまでやりたいことが無いのだと思います。現状の不満を言っている方が新しいことをするよりも楽だと思っているからかもしれません。

それは何故か? これまで真剣に「自分」という人間と向き合うことをしてこなかったからなのではないかと考えています。自分の内なる声を聴こうとしなかったからかもしれません。私も誤魔化し誤魔化しやり過ごしてきた人間の一人です。

今の日本で人生の目的を考えなくとも餓死することは少ないのではないでしょうか?だからこそ、人生の「目的」のために生きているのではなく、「手段」即ち、食うために人生という期間を生きている人達が多いのかもしれません。

毎日が面白くないと仰る人は多いのですが、その面白くないドラマの脚本を書いているのは一体誰なのかを今一度考えてみられることをオススメします。

実は今現在大企業に勤めておられ、ましてや中間管理職で1,000万円プレイヤーの方々で現状に満足されていない方は、このように私が起業した経緯を聞いて下さると、かなりの割合で共感して下さることが多いです。

当たり前ですが、やりたいことが企業勤めでないと出来ない場合も多々ありますので、上記は単なる生きる上での価値観についてのみ記していることをご理解頂ければ幸いです。

まとめ

さて、話が重たくなりました(笑)。

じゃあ、お前は一体何をしたんやと言われると、別に私も何をしたという訳ではありません(笑)。まだブランドを創ろうとする過程の中にいるに過ぎません。

前回のブログにも書きましたが、起業は上手くいかない確率の方が高いくらいのものですから、この先どうなるかは分かりません。でも「やりたいこと」があるのであれば非合理的と言われようが、本能で突っ込んでいくのも一つの考え方かなとも思います。自分の心の中のアクセルとブレーキのどっちを踏むかは本人次第ですね。

リソースと言われるヒト、モノ、カネ、情報は何一つ人それぞれに平等には与えられていません。その中で人間に平等に与えられているのは「時間」だけだと言われています。しかし、その平等に与えられているとされる「時間」でさえ、自分でコントロール出来る部分と、そうでない部分がある。

平等であるならば、人生の寿命も全員一律80歳とかじゃないとフェアではないはずなのですが、実際はそうではないです。残念ながら人間という生物は、生まれたその瞬間から「死」に向かって猛烈なスピードで走っているのは紛れもない事実です。しかもその終わりがいつ来るかも分からない。

そんな中、可能な限り自分でコントロール出来る割合を増やすために、もっと本能に従って生きても良いような気がします。

何にせよ、自分の人生を振り返った時に最終的に「満足出来た!」と言える生き方が一番かなと私は思います。