なぜ理容店の評価システムは無いのか?あるいはあったしても機能しにくいのか?
今日はカルヴォのコンセプトに共感下さったということでご連絡頂
渡邉さん自身、お会いしたら美容師かと思う佇まいと、
お一人でされているとのことで「完全予約制」のお店ですが、初めて来店されるお客さんには、どんな見せ方をしたいのかなど、カウンセ
薄毛の男性達にもっとカッコよくなって貰いたい、渡邉さんの熱い想いがヒシヒシと伝わってきました。お客様も中小企業経営者、企業の管理職クラスなど「
さて、それにしてもこれほどまでに顧客に向き合っておられる渡邊さんに、渡邊さん自身が私にアプローチされるまで私はお知り合いになることが出来なかったのでしょうか?
その理由として考えられるのが、タイトルにあります「なぜ理容店の評価システムは無いのか?あるいはあったしても機能しにくいのか?」という話になります。
例えばラーメン屋さんですと、1人のお客さんが幾つものラーメン店をはしごして味見してそれを「食べログ」やその他ラーメン専門サイトに食べた感想や味の評価を点数などで行い、他のラーメン愛好家もそれを読んで来店するという仕組みがあります。
対して、理容店の場合、仮に腕の良い理容師さんがいたとしても、そもそも殆どの男性顧客は薄毛かそうじゃないかに関わらず、引っ越しでもしない限り、また通っている理容店が特別嫌になる理由が生まれない限り、1つのお店にカットに通い続けることが多いのではないでしょうか?
つまり物理的にはいつでも別の理容店に通うことは可能ですが、心理的に別のお店に行くことを妨げるものがある、それは居心地だったり、その都度どんな髪型にして欲しいなどのリクエストを理容師に伝えるのが面倒くさいなど、「心理的スイッチングコスト」が存在することがラーメン屋に通うお客さんとの違いと言えるかもしれません。
つまり、ラーメン屋と違い、圧倒的に通える、通う理容店の数が少ないので「相対評価」ではなく「絶対評価」しか出来ない。なので、仮に理容室の評価システムがあったとしてもかなりそのユーザー毎の主観が入る余地を作ってしまうと言えます。
確かに「エキテン」のようなサイトもありますが、果たしてこれを日常的に使っている男性のお客さんはどのくらいいるのでしょうか?
渡邊さんのように志、想い、また技術もある理容師さんに出会えるのとそうではないのでは違いがあるはずです。しかしながらそれも理容師の腕を相対比較出来る仕組みが無い、それが店の外観からでは分からない。
なので、いかにそれぞれの理容店や理容師の「違い」「価値」を「見える化」し、伝えることが出来るかどうかが今の理容業界の課題なのではないかと渡邉さんとお会いして感じました。
今日の良い出会いに感謝です^^
関西テレビ「胸いっぱいサミット!」のエンドロールにカルヴォロゴが放映されるようになりました
お知らせです!
<関西地方、東海地方、北海道、広島県、福岡県ご在住以外の方は大変申し訳ございません>
昨日9月2日より、毎週土曜 午後0:00~1:00の時間帯での放映の関西テレビ「胸いっぱいサミット!」の番組エンドロールに、番組内でナレーターをされている、畑中ふう様のお名前が「畑中"カルヴォ"(←ロゴマーク)ふう」と表示されています。エンドロールの一番最初に流れますので、見逃さないと思います。
M-1グランプリのナレーションも担当されている、畑中ふうさんはご自身も薄毛であることを魅せられており、設立当初よりカルヴォの薄毛を「魅せる」という弊社のコンセプトにご共感頂いております。
是非、次回放映予定の9月9日(土)0:00からの「胸いっぱいサミット」のエンドロールでカルヴォのロゴをご覧頂ければ幸いです、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
ヒトは「頭」と「顔」を分けて見ることが出来るのだろうか?
この度、「日本顔学会」という一見風変わりな学会の会員になったので、来月頭に関西学院大学上ヶ原キャンパスで開催される学会大会の案内が届きました。
大会のテーマは「ブランドとしての顔 〜 魅せる感性・見る感性 〜」となっていました。
大会プログラムに記載されている各発表内容も非常に興味深いです。
カルヴォも薄毛を「魅せる」をコンセプトに活動していますので、今から大会に出席するのが楽しみにしています。
さて、いきなりここで質問です。
初対面で、とある人に挨拶をした時、あるいはその挨拶をする前の瞬間から、その人の頭と顔を分けて見ることはありますでしょうか?ここでいう頭とは、頭髪が生えている、あるいは元々生えていたであろう箇所のことを指しています。また、顔とは具体的には所謂おでこから下の部分のことを指しています。
恐らく、私も含めて殆どの方は「頭」と「顔」を「1つ」の一体化した存在として認識されているのではないでしょうか?
私はカルヴォのコンセプトである、薄毛を「魅せる」ことについて深く考えれば考えるほど、どうも世の中は「頭」と「顔」を分けて捉えているのではないかと思ってしまうのです。
例えば、男性向けに提供されているサービスを見てみると、「髪、眉毛、ヒゲ」は理髪店、「目」はメガネ店、「歯」は歯医者と、頭、顔に関わらず、パーツ毎にサービスが提供されていますが、これを全体的に「統合」「調和」させる作業はそれぞれ当事者の、それこそ「センス」に委ねられているのが現状かと思います。
ということは、センスがある人は全体のバランスが取ることが可能ですが、そうではない人は第三者視点で見ても「イタい」人になってしまう。もちろん、一般的に人を構成しているのは、「頭」と「顔」以外の首から下の部分も大きいでしょう。ということは服のことも全く無視という訳にはいかないかもしれません。
カルヴォはこのような従来「センス」という、これまで個人の経験則に基づいた属人的かつ、曖昧なままで片付けられてきたものに対して、特に薄毛男性にフォーカスしつつ「科学的アプローチ」で挑戦しようとしています。
是非、学会で新しい知見を得ることでこの挑戦を加速出来ればと思っているところです(^^)
女性のハゲ薄毛問題は男性のそれよりも深刻と言い切れるのだろうか?
今朝のYahoo!ニュースを見ていると、こんな記事が目に入ってきました。当然髪問題ですので、どれどれと記事を読むことにしました。
ご自身が円形脱毛症ということで、社会学観点で髪を失った女性について研究されている吉村さやかさんという方のお話でしたが、これを読んでいるうちにこんな疑問が湧いてきました:
・一般的に女性が髪を失うことの方が、男性が髪を失うよりもショックが大きいと言われているが本当だろうか?
・障害学では、個人の身体的欠損や異常そのものが「障害」なのではなく、個人が社会とつながろうとするときに生じる問題や生きづらさを「障害」と捉えるらしい。ということは、男性も同様な問題や生きづらさを感じるのであれば、男性の薄毛問題も十分な障害と言えるかもしれない
記事の中で吉村さん、こんなことを言っています:
「障害学の視点を通してみると、脱毛症女性の生きづらさは、髪がないことそのものが原因にはなりません。それは、女性に髪がないことを問題視して、隠したほうがいいと要請してくる社会のなかで生じているんです」
なるほど。でも新たにこんな疑問が湧いてきました:
・果たして社会は女性に髪が無いことを問題視しているのだろうか?
・女性のハゲは隠した方が良いと要請しているだろうか?
女性が髪が無いことを問題視しているのであれば、男性に髪が無いことを問題視しているからこそ「このハゲ~~!」事件が発生するのであって、これは特段女性に限った話でも無いのではないかと考えます。
私がこの「女性が髪を失うことによる喪失感が、男性が髪を喪失する喪失感よりも大きい」という話を聞く際にいつも思うのが、その裏付けとなるデータが存在するのかどうかという点です。是非そのようなデータがあったら教えて頂きたいです。
株式会社カルヴォが昨年行ったアンケートでは、男性が一定の薄毛レベルに達した際にはハゲは隠すよりも、短髪orスキンヘッドにしたら良いという女性意見がマジョリティを占める結果となりましたが、この逆バージョンのアンケートを実施したらどうなるか非常に興味深いと感じました。
つまり、女性のハゲ薄毛を「魅せる」ことについては世の中はどう思っているのかについても一度アンケートや統計を取ってみたいですね。
本日(2017年8月19日)の朝日新聞夕刊関西発に掲載頂きました
足掛け4時間以上の取材をして頂き、朝日新聞夕刊関西発に掲載頂きました。
起業した経緯や、今取り組んでいることについても触れて頂きました。
お時間あれば一読頂ければ幸いです、よろしくお願いいたします^^
ぽっちゃりですが何か?(2017年8月11日の日経MJ新聞より)
今日、8月11日の日経MJ新聞より。
「ぼっちゃりですが何か」とやや挑戦的な言葉が(笑)
「太め服、かつてはリスク、いま商機」という言葉が並ぶのを見ると、やっぱり文化っていうのか、価値観は変わるんだなとしみじみ笑
記事を読んでいくと、20~60歳の女性の人口のうち、2Lサイズ以上の人の割合は11.5%とのこと。成人男性の薄毛人口が25%以上であることを考えるとその半分以下なんですね。
で、婦人服の市場規模は5兆8,290億円にも関わらず、2L以上の服の販売は3.5%に留まっているとのこと。
お笑い芸人の渡辺直美さんがインタビューで「実は…モテて大変なんです」「デブ体型が武器になる」と語っていました。
これが薄毛男性でも同じようなことが起きないか、起こせないものかと思って食い入るように読んだ山の日でした。
是非、「既存の価値観」という「山」を動かしてみたいものです^^